2011'05.16 (Mon) 23:21
2011'05.16 (Mon) 23:13
一般の鈴木嗣正(ひでただ)君が被災地への支援活動
の体験談を皆にしてくれました。


(レポート)
東北地方太平洋沖地震に伴う移動郵便局への応援派遣について
1.期間
平成23年4月22日(金)~4月29日(金)
2.派遣先
南三陸町総合体育館「ベイサイドアリーナ」 移動郵便局
3.取扱内容
20万円を限度としての通常貯金の払い戻し、通帳の再発行請求の受付、
はがき、切手の販売、郵便の転居届の受付、郵便局に関する各種相談業務など
4.東北地方への派遣について
3月11日午後14時46分、宮城県沖を震源とする大きな地震が引き起こした
大津波により、南三陸町は壊滅的な被害に遭いました。
私が派遣先で応援をしていたときも、4,000人を超える町民の方々が避難
生活を送っていました。
派遣期間中は、直に被災された方と触れ合うことができたため、日ごろ感じる
ことのできない貴重な体験により多くのことを学べました。名古屋に戻って
からは体験したこと、感じたことを人に伝えることが私の役割だと考え、今回
のレポートで少しでも現地の状況を伝えられたら良いなと思っています。
私は、郵便局株式会社東海支社営業本部というところで、東海管内4県
(岐阜・静岡・愛知・三重)にある郵便局の保険販売の推進を図るため、
成績表の作成、会議資料、文書の作成、郵便局からの電話照会に対
する回答を行うなど、郵便局を支援する仕事を行っています。
実際に被災地へ行って活動しようと思っても、長い時間ときっかけが
必要です。今回の派遣は、東海支社の代表として派遣されるため、
ある程度業務に精通した人が適任ということで上司から推薦された
こともありましたが、人生に二度と無いであろう貴重な体験ができる
とともに、被災者のお役に少しでも立ちたいと思い、派遣について声を
かけられた時はすぐに了承しました。
4月22日午前8時30分に名古屋駅へ集合し、5名体制で仙台へ
向かいました。以前、新幹線を乗り継ぎ4時間ほどで仙台へ行った
ことがありましたが、今回の仙台への行程は、地震の影響で東北
新幹線は運休していたため、名古屋から福島まで新幹線を利用し、
福島からは臨時快速列車「新幹線リレー号」で仙台を目指しました。
その行程は約6時間でした。日ごろ何気なく利用している新幹線や
列車でも、いざ使えないと、そのありがたみを十分に感じることが
できました。
仙台駅周辺は地震による影響が少なく、とても綺麗でした。テレビ
やラジオで放送されていた被害の大きい被災地との差に、大きく
驚きました。名古屋と比べて少し肌寒く感じましたが、4月下旬に
も関わらず桜が満開で、とても綺麗でした。
宿泊先は「加護坊 四季彩館」といった、加護坊山を展望できる
レストランの宿泊施設に泊まりました。もともと研修などで使用
できる25畳の部屋があり、そこで地元の社員の方と併せて7人
で寝食を共に生活しました。
宿泊先を朝7時30分に出発し、社用車で被災地へ2時間ほど
かけて移動しました。移動の途中で拠点となる石森郵便局へ
立ち寄り、切手やはがき、書類や釣銭を授受しました。石森
郵便局は有名な漫画家「石ノ森 章太郎」が生まれ育った
屋敷のすぐそばにあり、郵便局近隣には「仮面ライダー」や
「サイボーグ009」など有名なキャラクターの像が立ち並ん
でいました。
道路には凹凸があり、地震により寸断されていたと思われる
場所には砂利が敷かれていました。私の言った時期は、
自衛隊により道路が整備されていましたが、雨が降った日は
地盤沈下のため、泥水で冠水していました。橋が津波で流され
たため通り道が限られ、平日は自衛隊やボランティア、地元
住民などの車両でかなり混雑していました。
移動の途中にも様々な光景が目に入ってきました。休憩で立ち
寄ったコンビニは、どこも陳列棚にスペースがあり、日用雑貨や
食料品を中心に品薄状態でした。被害が少なかった建物にも、
倒壊の危険性を調査した結果が貼り出され、倒壊の危険性が
ある建物には人影が見受けられませんでした。車が路上で
販売されていましたが、聞いたところによると、津波で車が
流された人が、移動手段がないため、市場価格の2割以上
高い値段で売られていても買っていくということでした。
震災直後はレギュラーガソリン1Lで200円台という状況
だったにもかかわらず、多くの人が買い求めたそうですが、
私の派遣期間中は、閉店しているガソリンスタンドが若干
ありましたが、テレビで騒がれていたほど、不足しているとい
った状況ではありませんでした。
山を抜けて被害の大きかった被災地へ入ると、言葉では言い
表せないほどの燦々たる光景が広がるひどい有様でした。
テレビで見て聞いていた状況と、実際に目で見る光景の違い
に言葉を失いました。
あたり一面ゴミの山になっており、重機で瓦礫の撤去を行っ
ていましたが、完全な復旧までは、まだまだ先が見えない
状況でした。流された車がビルの屋上に残っていたり、家が
流されたため土台だけが残っていたり、大きな船が流され
横たわっていたりと、津波威力をまざまざと感じました。
木くずなどのごみは、海岸沿いで常に焼却されていたため
煙がすごく、また、海岸から吹き寄せる風によって巻き起
こる砂埃など、被災地の環境は凄まじいものでした。
電柱が等間隔で立っていたことには驚きました。電柱も津波
により流されてしまったのですが、発電所をいち早く復旧させ、
一日も早くライフラインである電気を各避難所へ通したいという
気持ちで、電力会社の方が一週間ほどで立て直したそうです。
私が派遣された移動郵便局は、避難所である南三陸町
総合体育館「ベイサイドアリーナ」のテニスコートに設置
されていました。テニスコートには移動郵便局以外にも、
南三陸町の役場、病院、警察など仮設の建物が立ち並
んでいたため、被災証明書や免許証の再発行に訪れる
人など常に人で溢れていました。
移動郵便局では、20万円を限度としての通常貯金の
払い戻し、通帳の再発行請求の受付、はがき、切手の販売、
郵便の転居届の受付、郵便局に関する各種相談業務など
を行いました。天候が悪く派遣期間中は雨の日が多かった
ですが、それでも一日の来局者数は平均で30人、多い
ときは60人ほどと、いろんな人にご利用いただきました。
仕事のほとんどが通帳の再発行請求の受付、郵便の
転居届の受付、切手の販売でした。避難生活では食料に
困ることがなく、遠方に出かける交通手段もないことから、
避難所で生活することが多いため、防犯面から現金を
持たない方が安心できるとのことでした。
郵便局には、津波で局舎が流されてしまった地元の
社員をはじめ、全国各地から派遣で集まった社員が
共同で仕事を行いました。一緒に仕事を行った地元の
局長は、家や車、局舎が流され、奥さんもお亡くなりに
なられたとのことでした。派遣当初は、地元の社員も
被災者のため、何て声をかけたらよいのか戸惑って
いましたが、それでも地元の社員をはじめ局長にも
積極的に話をすることによって、打解けることができました。
避難所として使われていた南三陸町総合体育館
「ベイサイドアリーナ」は、南三陸町最大の避難所で、
多くの人々が避難生活を送っていました。駐車場には
自衛隊の車両、救急車、消防車、各携帯電話会社の
基地局車両が常駐しており、生活には困らない環境が
整っておりました。
避難所の入り口には亡くなられた方々の名前や行方
不明者の名前が貼り出され、羅列された名前を一生
懸命探す人、メモを取る人などがいました。避難所の
中に入ると、何とも言えない異臭が漂い、蒸しっとした
生温かい空気、衛生面で問題があるように感じられ
ました。入ってすぐのロビーで、人々が段ボールに
囲まれた仕切りの中で生活していました。先が見えない
避難生活に人々は疲弊しきっていましたが、多くの
ボランティアが炊き出しをはじめ、避難生活を送って
いる人々の世話を行うなど、何とかしたいという気持
ちで被災者を助けている姿が、被災者の心の支えに
なっているように感じました。
また、被災地には多くの有名人が訪れたと聞きました。
私の派遣期間中も近隣の中学校に亀梨和也が訪れ
ました。その状況を日本テレビ系スポーツ情報番組
「Going! Sports&News」にて後日放送されていました。
ボランティアや有名人が避難所に出掛け、歌や踊り
の披露、温かい料理を提供している姿には頭が下がります。
避難所ではテレビが映っており、移動郵便局の派遣
情報や自衛隊による入浴施設の設置場所など様々な
情報を得ることができていました。また、手書きの
情報紙や案内もあり、情報の入手が困難な状況
ではありませんでした。
電気は復旧していたものの、水道、ガスについては
復旧のめどが立っていないとのことでした。トイレは
仮設のものが立ち並んでいましたが、水道が復旧
していなかったため、使用後はペットボトルに入った
水で手を洗い、消毒液で消毒していました。異臭や
様々な雑菌、病原菌などから身を守るため、多くの
人が常にマスクを着用し、感染の予防をしていました。
地震や津波により、家や家族を亡くした人々、とくに
小さい子は被災した当初、笑顔がなかったと聞き
ました。それでも日が経過するにつれて、徐々に
気持ちが落ち着き、いろんな人と支えあうことに
よって笑顔を取り戻せているようでした。来局された
お客さまのお子さんにも飴をプレゼントしましたが、
味気のないただの飴でも喜んで笑顔で受け取り、
「ありがとう」という言葉が返ってきたときには、
とても嬉しかったです。
できれば、多くの人に被災地へ足を運んでいただき、
実際にその光景を目に焼き付けて欲しいです。
そして復旧に向けて自分に何ができるかを考え、
行動できるきっかけになっていただければと思います。
5.最後に
被災地から帰ってきて、感じたこと、考えたことを
色んな人に伝えてきましたが、感想を言葉で表す
ことはとても難しいです。ただ、こうして名古屋で
平和に暮らしている時も、被災された方々はその日
その日を一生懸命に、なんとか現状を打破し、
苦境を乗り越えようと頑張って生活しています。
私の感想により、今ある生活が当たり前ではなく、
過酷な環境でも明るく笑顔で復旧に向けて必死に
生活している人々がいることを、心の片隅に少し
でも留めていただけたら良いなと思います。
の体験談を皆にしてくれました。






(レポート)
東北地方太平洋沖地震に伴う移動郵便局への応援派遣について
1.期間
平成23年4月22日(金)~4月29日(金)
2.派遣先
南三陸町総合体育館「ベイサイドアリーナ」 移動郵便局
3.取扱内容
20万円を限度としての通常貯金の払い戻し、通帳の再発行請求の受付、
はがき、切手の販売、郵便の転居届の受付、郵便局に関する各種相談業務など
4.東北地方への派遣について
3月11日午後14時46分、宮城県沖を震源とする大きな地震が引き起こした
大津波により、南三陸町は壊滅的な被害に遭いました。
私が派遣先で応援をしていたときも、4,000人を超える町民の方々が避難
生活を送っていました。
派遣期間中は、直に被災された方と触れ合うことができたため、日ごろ感じる
ことのできない貴重な体験により多くのことを学べました。名古屋に戻って
からは体験したこと、感じたことを人に伝えることが私の役割だと考え、今回
のレポートで少しでも現地の状況を伝えられたら良いなと思っています。
私は、郵便局株式会社東海支社営業本部というところで、東海管内4県
(岐阜・静岡・愛知・三重)にある郵便局の保険販売の推進を図るため、
成績表の作成、会議資料、文書の作成、郵便局からの電話照会に対
する回答を行うなど、郵便局を支援する仕事を行っています。
実際に被災地へ行って活動しようと思っても、長い時間ときっかけが
必要です。今回の派遣は、東海支社の代表として派遣されるため、
ある程度業務に精通した人が適任ということで上司から推薦された
こともありましたが、人生に二度と無いであろう貴重な体験ができる
とともに、被災者のお役に少しでも立ちたいと思い、派遣について声を
かけられた時はすぐに了承しました。
4月22日午前8時30分に名古屋駅へ集合し、5名体制で仙台へ
向かいました。以前、新幹線を乗り継ぎ4時間ほどで仙台へ行った
ことがありましたが、今回の仙台への行程は、地震の影響で東北
新幹線は運休していたため、名古屋から福島まで新幹線を利用し、
福島からは臨時快速列車「新幹線リレー号」で仙台を目指しました。
その行程は約6時間でした。日ごろ何気なく利用している新幹線や
列車でも、いざ使えないと、そのありがたみを十分に感じることが
できました。
仙台駅周辺は地震による影響が少なく、とても綺麗でした。テレビ
やラジオで放送されていた被害の大きい被災地との差に、大きく
驚きました。名古屋と比べて少し肌寒く感じましたが、4月下旬に
も関わらず桜が満開で、とても綺麗でした。
宿泊先は「加護坊 四季彩館」といった、加護坊山を展望できる
レストランの宿泊施設に泊まりました。もともと研修などで使用
できる25畳の部屋があり、そこで地元の社員の方と併せて7人
で寝食を共に生活しました。
宿泊先を朝7時30分に出発し、社用車で被災地へ2時間ほど
かけて移動しました。移動の途中で拠点となる石森郵便局へ
立ち寄り、切手やはがき、書類や釣銭を授受しました。石森
郵便局は有名な漫画家「石ノ森 章太郎」が生まれ育った
屋敷のすぐそばにあり、郵便局近隣には「仮面ライダー」や
「サイボーグ009」など有名なキャラクターの像が立ち並ん
でいました。
道路には凹凸があり、地震により寸断されていたと思われる
場所には砂利が敷かれていました。私の言った時期は、
自衛隊により道路が整備されていましたが、雨が降った日は
地盤沈下のため、泥水で冠水していました。橋が津波で流され
たため通り道が限られ、平日は自衛隊やボランティア、地元
住民などの車両でかなり混雑していました。
移動の途中にも様々な光景が目に入ってきました。休憩で立ち
寄ったコンビニは、どこも陳列棚にスペースがあり、日用雑貨や
食料品を中心に品薄状態でした。被害が少なかった建物にも、
倒壊の危険性を調査した結果が貼り出され、倒壊の危険性が
ある建物には人影が見受けられませんでした。車が路上で
販売されていましたが、聞いたところによると、津波で車が
流された人が、移動手段がないため、市場価格の2割以上
高い値段で売られていても買っていくということでした。
震災直後はレギュラーガソリン1Lで200円台という状況
だったにもかかわらず、多くの人が買い求めたそうですが、
私の派遣期間中は、閉店しているガソリンスタンドが若干
ありましたが、テレビで騒がれていたほど、不足しているとい
った状況ではありませんでした。
山を抜けて被害の大きかった被災地へ入ると、言葉では言い
表せないほどの燦々たる光景が広がるひどい有様でした。
テレビで見て聞いていた状況と、実際に目で見る光景の違い
に言葉を失いました。
あたり一面ゴミの山になっており、重機で瓦礫の撤去を行っ
ていましたが、完全な復旧までは、まだまだ先が見えない
状況でした。流された車がビルの屋上に残っていたり、家が
流されたため土台だけが残っていたり、大きな船が流され
横たわっていたりと、津波威力をまざまざと感じました。
木くずなどのごみは、海岸沿いで常に焼却されていたため
煙がすごく、また、海岸から吹き寄せる風によって巻き起
こる砂埃など、被災地の環境は凄まじいものでした。
電柱が等間隔で立っていたことには驚きました。電柱も津波
により流されてしまったのですが、発電所をいち早く復旧させ、
一日も早くライフラインである電気を各避難所へ通したいという
気持ちで、電力会社の方が一週間ほどで立て直したそうです。
私が派遣された移動郵便局は、避難所である南三陸町
総合体育館「ベイサイドアリーナ」のテニスコートに設置
されていました。テニスコートには移動郵便局以外にも、
南三陸町の役場、病院、警察など仮設の建物が立ち並
んでいたため、被災証明書や免許証の再発行に訪れる
人など常に人で溢れていました。
移動郵便局では、20万円を限度としての通常貯金の
払い戻し、通帳の再発行請求の受付、はがき、切手の販売、
郵便の転居届の受付、郵便局に関する各種相談業務など
を行いました。天候が悪く派遣期間中は雨の日が多かった
ですが、それでも一日の来局者数は平均で30人、多い
ときは60人ほどと、いろんな人にご利用いただきました。
仕事のほとんどが通帳の再発行請求の受付、郵便の
転居届の受付、切手の販売でした。避難生活では食料に
困ることがなく、遠方に出かける交通手段もないことから、
避難所で生活することが多いため、防犯面から現金を
持たない方が安心できるとのことでした。
郵便局には、津波で局舎が流されてしまった地元の
社員をはじめ、全国各地から派遣で集まった社員が
共同で仕事を行いました。一緒に仕事を行った地元の
局長は、家や車、局舎が流され、奥さんもお亡くなりに
なられたとのことでした。派遣当初は、地元の社員も
被災者のため、何て声をかけたらよいのか戸惑って
いましたが、それでも地元の社員をはじめ局長にも
積極的に話をすることによって、打解けることができました。
避難所として使われていた南三陸町総合体育館
「ベイサイドアリーナ」は、南三陸町最大の避難所で、
多くの人々が避難生活を送っていました。駐車場には
自衛隊の車両、救急車、消防車、各携帯電話会社の
基地局車両が常駐しており、生活には困らない環境が
整っておりました。
避難所の入り口には亡くなられた方々の名前や行方
不明者の名前が貼り出され、羅列された名前を一生
懸命探す人、メモを取る人などがいました。避難所の
中に入ると、何とも言えない異臭が漂い、蒸しっとした
生温かい空気、衛生面で問題があるように感じられ
ました。入ってすぐのロビーで、人々が段ボールに
囲まれた仕切りの中で生活していました。先が見えない
避難生活に人々は疲弊しきっていましたが、多くの
ボランティアが炊き出しをはじめ、避難生活を送って
いる人々の世話を行うなど、何とかしたいという気持
ちで被災者を助けている姿が、被災者の心の支えに
なっているように感じました。
また、被災地には多くの有名人が訪れたと聞きました。
私の派遣期間中も近隣の中学校に亀梨和也が訪れ
ました。その状況を日本テレビ系スポーツ情報番組
「Going! Sports&News」にて後日放送されていました。
ボランティアや有名人が避難所に出掛け、歌や踊り
の披露、温かい料理を提供している姿には頭が下がります。
避難所ではテレビが映っており、移動郵便局の派遣
情報や自衛隊による入浴施設の設置場所など様々な
情報を得ることができていました。また、手書きの
情報紙や案内もあり、情報の入手が困難な状況
ではありませんでした。
電気は復旧していたものの、水道、ガスについては
復旧のめどが立っていないとのことでした。トイレは
仮設のものが立ち並んでいましたが、水道が復旧
していなかったため、使用後はペットボトルに入った
水で手を洗い、消毒液で消毒していました。異臭や
様々な雑菌、病原菌などから身を守るため、多くの
人が常にマスクを着用し、感染の予防をしていました。
地震や津波により、家や家族を亡くした人々、とくに
小さい子は被災した当初、笑顔がなかったと聞き
ました。それでも日が経過するにつれて、徐々に
気持ちが落ち着き、いろんな人と支えあうことに
よって笑顔を取り戻せているようでした。来局された
お客さまのお子さんにも飴をプレゼントしましたが、
味気のないただの飴でも喜んで笑顔で受け取り、
「ありがとう」という言葉が返ってきたときには、
とても嬉しかったです。
できれば、多くの人に被災地へ足を運んでいただき、
実際にその光景を目に焼き付けて欲しいです。
そして復旧に向けて自分に何ができるかを考え、
行動できるきっかけになっていただければと思います。
5.最後に
被災地から帰ってきて、感じたこと、考えたことを
色んな人に伝えてきましたが、感想を言葉で表す
ことはとても難しいです。ただ、こうして名古屋で
平和に暮らしている時も、被災された方々はその日
その日を一生懸命に、なんとか現状を打破し、
苦境を乗り越えようと頑張って生活しています。
私の感想により、今ある生活が当たり前ではなく、
過酷な環境でも明るく笑顔で復旧に向けて必死に
生活している人々がいることを、心の片隅に少し
でも留めていただけたら良いなと思います。
2011'05.15 (Sun) 19:21
2011'05.06 (Fri) 22:29
5月
1日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
2日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
3日 (火) 6:00~7:30 ※栄生コミュニティーセンター
5日 (木) 6:00~7:30 ※城北小学校 体育館
7日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
6:00~7:30 平田学校体育センター
8日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
第7回 坪内杯全日本オープン空手道選手権大会 愛知県体育館 9.00-
9日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
10日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
12日 (木) 6:00~7:30 ※城北小学校 体育館
14日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
15日 (日) サムライ杯春の陣空手道選手権大会 露橋SC
6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
16日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
17日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
19日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
21日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
22日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
23日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
24日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
26日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
28日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
6:00~7:30 平田学校体育センター
29日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
30日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
31日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
6月
2日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
4日 (土) H23年前期昇級昇段審査 名古屋 サンライフ名古屋 13.00-
5日 (日) H23年前期昇級昇段審査 志摩 文岡中武道場 18.00-
6日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
7日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
9日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
11日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
12日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
聖山杯押忍カラテトーナメント2011 北名古屋健康ドーム 9.00-
13日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
14日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
16日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
18日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
19日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
20日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
21日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
23日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
25日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
26日 (日) 国際ミュージック空手選手権 安城市スポーツセンター
武神オールジャパン空手選手権 愛知県体育館
6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
27日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
28日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
30日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
※各道場とも7.30~8.45まで各種目別に強化練習をしています
練習場所の変動もありますのでよく確認をして下さい。
その他なにかありましたら指導員までお願いします。
1日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
2日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
3日 (火) 6:00~7:30 ※栄生コミュニティーセンター
5日 (木) 6:00~7:30 ※城北小学校 体育館
7日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
6:00~7:30 平田学校体育センター
8日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
第7回 坪内杯全日本オープン空手道選手権大会 愛知県体育館 9.00-
9日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
10日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
12日 (木) 6:00~7:30 ※城北小学校 体育館
14日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
15日 (日) サムライ杯春の陣空手道選手権大会 露橋SC
6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
16日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
17日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
19日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
21日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
22日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
23日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
24日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
26日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
28日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
6:00~7:30 平田学校体育センター
29日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
30日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
31日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
6月
2日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
4日 (土) H23年前期昇級昇段審査 名古屋 サンライフ名古屋 13.00-
5日 (日) H23年前期昇級昇段審査 志摩 文岡中武道場 18.00-
6日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
7日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
9日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
11日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
12日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
聖山杯押忍カラテトーナメント2011 北名古屋健康ドーム 9.00-
13日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
14日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
16日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
18日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
19日 (日) 6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
20日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
21日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
23日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
25日 (土) 6:00~7:30 サンライフ名古屋
26日 (日) 国際ミュージック空手選手権 安城市スポーツセンター
武神オールジャパン空手選手権 愛知県体育館
6:00~7:30 三重県志摩郡鵜方 文岡中 武道場
27日 (月) 6:00~7:30 東志賀小 体育館
28日 (火) 6:00~7:30 栄生コミュニティーセンター
30日 (木) 6:00~7:30 北スポーツセンター第2競技場
※各道場とも7.30~8.45まで各種目別に強化練習をしています
練習場所の変動もありますのでよく確認をして下さい。
その他なにかありましたら指導員までお願いします。
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